2008年4月1日火曜日

俺の回想録 ≪Part19:新米社員の青春≫_Reminiscences_New face_Youth_

この私のブログは昨日、一昨日とお休みしてしまいました。それは、娘が今年4月に県外の大学に入るので、その住居の準備で家を留守にしていたからです。 そして今日、家に帰って来ました。
これからも、頑張ってブログを書き続けて行きたいと思っていますので、よろしくお願いします。
さて今日のお話しは、私が社会人_new face_youth_に成り立ての頃、私(若者達)の生活の様子をお話しします。
私が、社会人1年生になった1968年頃は、一般に乗用車の数も少なく、私はバスと電車を使い通勤していました。バスの乗客も多い時代でした。
私の実家に近い所を通るバス路線は最終が20時30分だったので、私は仕事がら毎日この最終バスで帰っていました。
毎日、同じバスに乗るものですから、いつも私と同じバスに乗っている人達とも自然と挨拶するようになり、同年輩の人とは友達になり、その友達の友達とも知り合いになり、友達の輪が広がって大勢の友達が出来ました。
当時は、電車の駅の近くには必ず「喫茶店」があり、コーヒーを飲みながら読書したり、友達と会話したり、待ち合わせの場所に利用していました。
一般の高卒者の初任給が2万円弱(18,000円位)で、コーヒー1杯が80~100円でした。私達若者は、休日には喫茶店で友達と待ち合わせて、バスと電車に乗って繁華街に出て映画を見たり、また当時は若者からお年寄りまで男女の区別無く大人気だったボーリングなどをして楽しく過ごしていました。 私は、ボーリングが特に好きで夢中になりました。昼間ボーリング場でプレイするには1~2時間待ちが普通で、料金は1ゲーム250円程でした。
しかし、私は毎週休日には、家から朝一番の始発バスに乗って近くの街のボーリング場に朝8時間でに着き「早朝ボール」をしていました。
「早朝ボール」は、1ゲーム150円と格安でプレイが出来て待ち時間も殆ど無いのです。
その甲斐あってか?、会社のボーリング大会ではいつも入賞できました。
当時、私には通勤バスで知り合った友達のグループが出来ました。
グループは男性5人に女性4人で、クリスマスやお正月には皆で集まって遊んだりしていました。
私が、グループでの楽しかった思い出として、今でも残っているのは1970年3月から9月までの半年間開催され、会期中に6421万8770人もの人々が訪れた国際博覧会(大阪万博)へ1泊2日でグループのみんなと行った事です。
私達のグループの中では、カップルが出来て結婚した人もいます。
私は、当時グループとは別に交際していた女性(以前、このブログで紹介)がいました。
私が卒業した高校は、男子校のため彼女以外の女性と知り合った事が無かったのですが、グループが出来てからは、彼女以外にグループの中の女性と親しくなりました。
そのため、彼女と付き合う時間が少なくなっていき誤解が生じたりして、私と彼女の間に少しずつ気持ちにズレが生じて、それが破局へと進んで行ったのです。
その時は、私と彼女との仲で誤解が生じても、時間が来れば誤解は解けると軽く考えていました。
今に思えば、その時彼女もグループの仲間入れて、一緒に楽しく付き会っていれば良かったと後悔しています。私は、彼女だけはグループの仲間とは別の場所に、自分だけのものとして置きたかったのかも知れません。
そして、私が学んだことは「人間は誤解が生じた場合、時間は誤解を解いてはくれない。誤解された人は、その誤解を解くための努力はしなければいけない」と思います。
今日は、ココまでとします。
次回のブログは、Part20: 恋の破局_love_Collapse_のお話しをします。

0 件のコメント: