2008年4月6日日曜日

俺の回想録 ≪Part23:離れて分かる家族愛≫_Reminiscences_Family_Love_

今日は、私が東京で学生生活をしていて家族と離れていた時の私と家族_Family_Love_のお話しをします。
私が、専門学校に入学して半年位過ぎた頃、何の連絡も無く突然、父が私のアパートへ尋ねて来たのです。
私は、学校からアパートに帰って来ると父がアパートの門の所で、手に風呂敷包みを下げて立っていたのです。
私と父は、部屋に入りお茶を飲みました。父は部屋を見廻しながら「生活していて不便な事は無いか?」と言いました。そして、持っていた風呂敷包みを解いて、中から出てきたお米を私によこしたのです。
私は、「何もこんなに重い物を持って来なくても、米ならこちらでも買えるのに」と言ったら、「うん、そうだけどな」とだけ言って、少し寂しげに微笑んだのを今でも忘れません。
父は、昔からまじめ一筋で、少し不器用な人でしたから、父は私に何かを持って行ってやりたい気持ちから、商売の「お米」しか思い浮かば無かったのだと思います。
最初の晩、、父は私を連れてアパートから少し離れた繁華街で食事をしました。私は、食事をしながら、父と2人だけで家以外の所で食事をしたのは、小学校3年生の時に、一度だけ静岡の街に連れて行ってくれた時以来であると気付いたのです。
その為か?私は、少し照れくさい様な気持ちになりました。
その夜、私と父は四畳半に並んで寝たのです。
次の日、私はいつもの様に「駅の立ち喰いそば」を食べ学校に行き、授業が終わりアパートに帰ってみると、父が部屋を綺麗に整頓してくれてあったのです。そして、父は「おまえが元気でやってのが分かったから、明日帰るよ」と言ったのです。
その夜、私は父を誘い上野にある「鈴本演芸場」へ落語を聴きに行きました。私は、会いに来てくれた父と楽しい思い出を作りたかったのです。
落語を聴いてアパートに帰り、その後すぐに父と銭湯に行きました。父と私は、お互いの背中を流しあった後、夜空の下を2人並んでアパートに帰って寝たのです。
次の日、私が学校へ行く時間に合わせて父は帰りました。駅で別れる時に、父は私に「私が、東京で生活を始めた時に似ていた」と言い、「これを取っておけ」と言って1万円札を1枚、私に渡してくれたのです。
私は、「キャッシュカードを持っているから、いいよ」と言ったら、私のポケットの中へそのまま入れたのでした。そして、父は帰って行きました。
後で、私が帰省した時に母から聞いたのですが、父は母にも兄達にも黙って、私の所に行ったとの事でした。_Family_Love_
そんな父も、私が30歳の時「癌」で67歳の生涯を終えたのです。
今でも、父が私の所に突然会いに行った理由は、残った家族には解らないのです。
私は、父が末っ子である私の事が心配になり、また自分の若い時の事を私にダブらして見たかったのではないかと思っています。
今日のお話しは、ココまでとします。
次回のブログは、Part24: 母からの手紙_Letter_mother_ のお話しです。

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