2008年4月17日木曜日

俺の回想録 ≪Part32:社会に再出発≫_Reminiscences_fresh start_society_

今日は、私が27歳の春(1977年)に専門学校の建築科を卒業して社会人として再出発した就職先の設計事務所_drawing office_でのお話しをさせて頂きます。
私が勤務した設計事務所は、個人の住宅の1室を事務所にした職場でした。
従業員は、男性が所長と24歳の「杉本君」と私の3人で、女性は所長の奥さんと娘さんの2人の計5人でした。
奥さんは、事務所の役員として実務はません。娘さんは、一般事務と車の運転手が仕事でした。建築の設計実務は、私達3人でおこなっていたのです。
この事務所は、私が就職活動_job hunting_していた時”求人”はしていなかったのですが、過去に学校の先輩が就職した事務所ということで、学校から私を紹介して頂いたのです。
そして、面接だけはして頂ける事になり面接試験を受けに来たのです。
私は、就職を早く決めなければと思い、その時は給料の話は無しのまま採用が決まったのですが、勤務して最初の給料を頂いた時に驚きました。私の初任給は、通勤費込みで4万円だったのです。
私は、通勤にバスと電車を利用していたので通勤費を引くとお小遣い程度の金額しか残らないのです。
以前、私が勤務していた会社で頂いていた給与までは望んではいませんでしたが、1/3の金額だったのです。
私も27歳になて、周囲の人達から結婚を薦める話が出始めていましたが、私は「修行の身だから結婚は考えない」と言い訳していました。
秋になって所長から、私と”同僚の杉本君”に建築士_authorized architect_の資格試験_qualifying examination_を受験するように言われたのです。
受験前に、杉本君は私に「今回も失敗したら、事務所を辞める覚悟だ」と言ってました。杉本君は、この試験に過去3回失敗していて、所長からは「君は、建築設計の仕事には向いていない」とも言われ、彼は”もう後が無い”と追い詰められた状態で試験を受けたのでした。
そして、彼は受験に失敗して事務所を辞めてしまったのです。
私は、試験に合格して晴れて2級建築士の資格を得たのですが、以前会社勤めを経験している私には所長の家族と職場の雰囲気に馴染めなかったので、杉本君が辞めて2ヶ月後に私も事務所を辞めました。
私は、専門学校_vocational school_を卒業して設計事務所に就職した年に”中学校の同級会”に出たのですが、クラスメートの男性6割は既婚者になっていました。また、職場では責任ある役職に着いて頑張っていたのです。
クラスメートには、私が26歳で学校に入学した事が理解できないという意見などもありました。
私も、本当にこれで良かったのか自分で自問自答をする事もありましたが、そのな時はいつも高校の先生の言葉を思い出しては納得していました。
それは、私が専門学校に受験願書を提出する前に、母校の高校へ卒業証明書を頂に行った時でした。
私は、担任の先生に会い卒業証明書の必要理由を話した時に、先生は私に「男は30歳前までは色々体験したり挑戦するのは良い事さ、しかし30歳を過ぎたら自分自身に責任を持たなければいけない」と言って応援してくれたのです。
私は、将来は建築設計事務所_authorized architect office_を開きたいと思っていたので設計事務所を辞めた後に、今度は建築の施工技術を学びたいと思い施工会社に就職しました。
今日のお話しは、ココまでになります。
次回は、新しい職場で遭遇したPart33:思わぬ出来事_unexpected accident_のお話しをしたいと思います。

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