2008年4月9日水曜日

俺の回想録 ≪Part26:旅行記(佐渡)≫_Reminiscences_Traveling alone_

今日は、私が一人旅_traveling alone_に出て2日目に新潟県の佐渡に着いてからのお話しをします。
小型飛行機が無事に佐渡に着陸して、ホットした私が飛行場に降り立ったのは午後の4時頃でした。
その日は、飛行所の周辺を散策しながら泊まる宿を探して終わりました。
私が見つけた宿は、私が想像していた佐渡の雰囲気とは異なる、洋風的な外観で少し値が高そうなところでした。
飛行場周辺では、この旅館しか見つけることが出来なかったのです。私は、その旅館に宿泊しました。
次の朝、私は明るい洗面所で顔を洗っていて、鏡に写った自分の顔を見て驚きました。
私の顔は痩せて、目の縁がクマで黒ずんで、まるで病人のようでした。
私は、2年生になって毎日が部屋で課題に追われる生活をしていて、睡眠時間が平均4時間ほどでした。
学校に入学する前、社会人の時には体重が65kg程でしたが、その時は59kgになっていたのです。
私は、学校生活で知ったのですが、睡眠時間が4時間とれれば次の日に頭も働き、授業にはそんなに支障は無いのです。
しかし、睡眠時間が3時間程度だと次の日に頭は働きません、昼間ずっと起きていられ無いのです。
昔、ナポレオンは”人間は4時間眠れば十分である”と言ったそうですが、人間が厳しい環境下で暮らす場合の睡眠時間は、最低でも4時間は必要だと思うのです。
話を元に戻します。
私は、病人の様な自分の顔に”恥ずかしさ”を感じましたが「旅の恥は、掻き捨て」の気持ちで、そのまま旅を続けました。
旅行中に、私の顔を見て驚いていた人もいたかも知れません。
私は、宿を出て佐渡島内を巡る定期観光バスに乗り、島内で最も高い山の「金北山」や「佐渡金山」 「真野御陵」などを見て廻ったのです。
そして、その夜も同じ旅館に泊まったのです。
次の日、私は佐渡から能登半島へ行こうと決めて、フェリーの発着場のある佐渡島の南端である「小木」へ向かいました。そして、小木にバスで着いた時は午後1時頃でした。
フェリーの出発まで1時間ほどあったのですが、近くの海で”絣の着物に手ぬぐいを被った女性”がタライ船を操作している姿を見て、時間を潰したのです。
出発時間になり、フェリーに乗船した私は直ぐに甲板に出ると、フェリーが動き出しました。
同時に、佐渡おけさの音楽が港に流れたのです。
私は、”佐渡おけさ”の音楽を聴いた時、不思議な魅力のある曲だと思いました。
この曲を速いテンポで聞くと、明るく、楽しい感じに聞こえるのですが、スローなテンポで聞くと、もの悲しく、切ない、ような感じに聞こえるのです。
フェリーが港を離れると、この”佐渡おけさ”の曲がスローテンポで優しく流れたのです。
一人旅の私は、それを聞いて”何故か?もの悲しい気持ち”になって佐渡を離れたのです。
今日のお話しは、ココまでとします。
次回のブログは、Part27: 旅行記(能登)_Traveling alone_ として続きのお話しです。

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