2008年3月29日土曜日

俺の回想録 ≪Part18:社会人1年生≫_Reminiscences_Member_Society_

私は、1968年にの春に工業高校を卒業して18歳で社会人_member _society_になりました。
入社した会社は、創立2年目で設計、測量部、地質調査等の建設関係のコンサルタント業務の会社でした。
私と同じ高校からの田中君は、面接試験において配属部所は「設計部」を希望していました。
しかし、私達は、測量部に配属され、晴れた日は毎日外業で現場測量を行い、雨の日は内業で現場測量結果のまとめ及び製図作業でした。
私達は、進入社員のため毎日のように現場でテープ(巻尺)読みの係りで、現場ではただの人促に過ぎのです。
私は、「これから、社会人とし一生この仕事をしていくのかな~」と考えては、空しい気持ちになり、仕事に魅力を感じられませんでした。さりとて、転職するとなると高校で学んだ事が無駄になると思い、毎日割り切れない気持ちで過ごしていたのです。
親に話しても、「まだ、入社して半年ではないか、仕事を憶えて上司から仕事を任されるようになれば仕事が面白くなるから」と言われましたが、私には理解できませんでした。
そんな時でした、会社が大きく飛躍できるか、どうか?の社運を懸けた大仕事を会社が受注したのです。そして、社内でプロジェクトチームが組織され、会社の全部所から人選されたのです。そして、測量部からは私が任命されたのです。
プロジェクトチームは○○・・設計部としてスタートしました。
私は、希望する「設計部」に移動できてからは、充実した毎日を送れるようになりました。
設計部員になった時、外部から役所を途中退職されて入社して来た「松本さん」と言う29歳の方が、私達チームの課長になったのです。
私と松本さんは、家へ帰る方向が同じだったので一緒の電車で通勤するようになりました。
ある時、「青島君、私達のような技術仕事は、より高度な知識と学力が要求されるから、これからは大学卒の時代になる」と松本さんが言いました。
私も、仕事を通じて高校で学んだ以上の学識を身に付けたいと思う時があり、もう一度勉強して大学へ進もうかと考えた事もありました。
しかし、日々仕事が面白くなり、自分の人生はこのままでも良いと満足する気持ちになったりもして、進学の決断が出来無いまま年月が過ぎていきました。
私は、設計部員になってある事に気付きました。それは、私だけかも知れませんが「自分の仕事が面白くて充実している時は、遊びもより楽しく感じられる」しかし、「仕事が面白くなくて充実して無い時は、遊びも楽しく無い」と思えるのです。
以上が、私が社会人1年生になり自分の「仕事と将来」に疑問と迷いを抱き、そして方向が与えられ少しずつ社会人_Member_Society_として歩み始めた頃の話です。
今日は、ココまでとします。
次回のブログは、Part19: 新米社員の青春_newface_Youth_ のお話しです。

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