2008年4月21日月曜日

俺の回想録 ≪Part34:辞めた会社に再就職≫_Reminiscences_Reemployment_

今日のお話しは、私が建築の施工技術を学ぼうと建設会社に就職して、工事現場の監督をいていて怪我をしてしまい、その会社を1年弱で辞めた後の話しになります。
私は、会社を辞めてから3ヶ月ほど実家の米屋の仕事を手伝いながら、次の就職先を探していました。_job hunting_
その間に、実家では私が生まれ育った家を建て替える事になり、私は実家の設計計画もしていました。
図面を工事会社に渡した頃に、専門学校_vocational school_に入学する前まで勤務していた会社から1本の電話が入ったのです。
私が、受話器を耳にすると元上司の声で「ヨウ、元気!今実家にいるんだって、最近会社で請けた業務が建築要素を含んだ仕事なのでアルバイト_part-time job_として手伝ってくれないか?」と言って来たのです。
私は、建築の就職先を探していたのですが、見つかるまでアルバイトとして勤める事に決めました。
元の会社での仕事は、私が以前行っていた土木設計業務に建築要素が加わる楽しい仕事でした。
そのため、再就職活動_job hunting_がおろそかになって仕舞いました。
そんな時でした、元気に仕事をしている父の尿が異状な黄色である事に、母が気付いたのです。
母に促され、父が病院_hospital_へ行ったのですが「即、入院」する事になり、母と兄が病院に来るよう呼ばれたのです。
そして、父の病気は「癌」_cancer_で、医師_doctor_から「あと半年の命です」と言われたのです。
その夜、会社から戻った私は母から父の病名を聞いたのです。
私は、それまで”家族の死の宣告”また”癌という病気”はテレビドラマでの話しで、どこか他人の話しのように思っていたので、直ぐには現実として受け止める事が出来ませんでした。
しかし、無情にも現実だったのです。
父の病名は”胆管癌”の末期でした。そのため、胆汁が尿と一緒に体外に出ていたのです。
その頃、私は会社で上司から「もう一度、会社に戻って来ないか?、土木も建築も同じ建設業で、会社としても両方の知識を持った社員が必要だから」と言われていたのです。
しかし、自分は”建築の道”へ進みたいと思って就職活動_job hunting_を会社に内緒で行っていたのです。
父の病気を知ってから、私は悩みました。それは、「息子の私が、就職先が決まっていないアルバイト_part-time job_の状態では、父は安心出来ないだろう」と考えたからです。
そして、私は会社に戻る決心をして、元の上司に戻る意思を伝え、会社の正社員となったのです。
父の手術は、8時間以上かかり「悪いところは全て取り除きました」と医師_doctor_は言いました。
手術が終わって1月程して、父は退院しました。
しかし、入院直前まで元気だった父が退院の時からは体力も弱り、痩せて本物の病人になってしまったのです。
父が退院した時には、実家は新築していたので、父は私の設計に満足してくれました。
そして、父に元の会社に戻った事を報告したら、父はただ黙って頷きました。
その時、父はどの様に思ったか?私には知る事が出来ませんでした。
退院後、父は家庭養生_home care_で3ヶ月程寝たり起きたりの生活でしたが、月が変わる度に父の体は衰弱していきました。そして、父は再入院して2ヶ月の闘病生活_The days of fight against illness_の後、この世を去りました。
享年68歳で、私が29歳の時でした。
今日のお話しは、ココまでです。
次回は、Part35:出会いと結婚_encounter_marriage_のお話しをしたいと思います。

0 件のコメント: