2008年4月4日金曜日

俺の回想録 ≪Part21:新たな出発≫_Reminiscences_New departure_

前回、このブログでお話した続きになりますが、私は彼女を失ってから自分が親元で暮らす生活に「身の周りの世話は親がしてくれる、今の生活でいて良いのか?」と考え、「何か自分で自分を変えたい」と思い、親元を離れ自分でアパート生活を始める事にしたのです。_New departure_
その頃には、会社の仕事に責任を持たされる立場になっていて、自分の気持ちを紛わせる為にも仕事に没頭しました。
そして、2年が過ぎ時(1976年)会社を退職したのです。
当時、オイルショックがあり日本経済が急激に不況が襲ったのです。私の会社も不景気となり、社員の待遇も悪化していました。
私は、それまでの会社生活で忘れかけていた「もう一度、勉強を仕直すために上の学校(大学)へ行きたい」という思いになったのです。
しかし、私の経済的余裕だと「受験勉強1年」、「大学生活4年間」は不可能でした。それで私は、「今までの土木設計の仕事で得た知識と技術も生かせる、新しい分野の建築設計を学ぼう」と考えて、専門学校に入学する事に決めたのです。
会社に在職中の時でしたが受験して「合格」したので、家族に退職と入学の報告のため実家に帰ったのですが、兄達は「26歳にもなって何を考えているだ?」と言い、母は「今の会社でもう少し辛抱したら」と反対しました。
ただ、父だけは「男が行くと決めたなら行けば良いさ」と言ってくれたのです。
この父の一言で、私の入学が認められたのです。
これは、私が入学した後に母から聞いたのですが「あんたは、お父さんと同じだね・・・」「お父さんは、尋常小学校(義務教育)しか出ていなくて色々の仕事したけど、ある日、一念発起して東京の工業専門学校の機械科に入って勉強して飛行機を作る技師になったんだよ」「だから、お父さんは自分とあんたが似ているから反対しなかったんだよ」と言いました。
私は、入学する事に決まり会社への「退職届け」をアパートで夜中まで、書いては気に入らなくて何度も書き直しました。
そして、次の日に上司へ「退職願い」を提出したのです。
会社の同僚の中には驚く人、信じ無い人などもいましたが、みんなで盛大に送別会を開いてくれました。
私は、入学の準備を考慮して2月末日で退職して、4月始めの入学へ向けて準備をしました。
それまで借りていた静岡のアパートを引き払い、東京の北区に新たに借りたアパートへ引越すのです。 私の引越しには、兄(次男)が協力してくれて実家のトラックに荷物を積んで、私と二人で運んでくれました。
東京で借りた私のアパートは、築20年は過ぎているであろう木造の4帖半で半間の流しと半間の押入れが付いて家賃は1万円でした。隣もアパートで、40cm程しか離れておらず昼間でも薄暗い部屋でした。兄も部屋を見て驚いていました。
こうして、私の新たな生活_New departure_が東京で始まったのです。
今日のお話しは、ココまでにします。
次回のブログは、Part22: 東京での学生生活_Student life_ のお話しです。

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