2008年4月28日月曜日

俺の回想録 ≪Part37:子供の誕生≫_Baby_Born_

今日は、私達夫婦が結婚して子供が生まれた時のお話しです。
私達が結婚_marriage_したのは、私が35歳で、妻は33歳の時で一般の人達と比べて遅い結婚でした。
私達は、年齢を考えると子供は直ぐに欲しいと思っていました。
また、私は、結婚すれば子供は直ぐに出来る_baby_born_ものと考えていました。
しかし、2年間過ぎても子供は出来ませんでした。
その間、妻は病院_hospital_で調べて頂いたのですが異状は無くて、私にも「病院で1度調べてもらいましょう」と妻に言われました。
私は、恥ずかしい気持ちになり仕事を理由にして行きませんでした。
3年目になり、私は年齢的に子供を授かるのは難しいのかと思い、少し諦めのような気持ちで妻に「子供が授かるのは、気長に待つ事にしよう」と言いました。
妻も「そうね、そうしましょう」と言って、お互いに子供が授かる事を意識しないで生活を始めた時でした。
妻が「今月も生理が始まったみたい」と、私に言ったのです。
私は、心の中で「今月もだめか、まあ~しょうがないか」と思い、少し残念な気持ちでした。
次の日、妻が「何故か?今月は生理が少ないのよ」と言ったのです。
そして、1ヶ月以上が過ぎて妻は「今月は生理が遅れているの」と言ったのです。
私は、「もしや!」と思い、家にあった”家庭の医学”_Domestic medicine_という本で”妊娠”_pregnancy_について調べ、その後に妻が薬局で”妊娠を調べる品”を購入して調べて見ると妊娠_pregnancy_の結果が出たのです。
次の日、妻は妊娠_pregnancy_を確かめるために病院へいきました。
私は、会社で1日中仕事が手に付きませんでした。
帰宅して、妻から「妊娠だって」と聞いた時は”高額宝くじ”に当った様な喜びと、「俺もついに父親になるのか」という少し不安な気持ちになりました。
そして、10ヶ月後に無事に元気な男の子を授かった_baby_born_のです。
子供が産まれた日、私が病院のベビー室の廊下でガラス窓から子供を見ていると、義兄が手に新聞紙を持ってやって来ました。
義兄は、「記念にと思い、今日販売された各新聞紙_newspaper_を全部買って来た。この子が大人になった時に見せてやれば、自分の誕生日の様子が分かるから」と言って、私の手に渡してくれたのです。
私は、今でもその新聞紙_newspaper_をビニール袋に入れて大事にしまってあります。
妻が長男を出産_delivery_した後、私と妻と子供の3人での生活が始まり2ヶ月程過ぎた時です。
妻が、近所に住む奥さんが「妊娠中で、年子だって」と、私に言ったのです。
その家は、我が家より3ヶ月程早く子供(長男)が産まれていました。
私は、「あの家は、ご夫婦が若いからな~」と返事をして、その時は知らなかったのですが、すでに我が家も妻のお腹に2人目の子供が入っていたのです。
そして、近所の家に3ヶ月程遅れて妻も長女を年子で出産_delivery_しました。
私は、2人の子供が産まれた時に不思議に思った事があります。
それは、病院のベビー室のガラス窓をとおして産まれた子供と初めて対面した時でした。
それまで、目を閉じて寝ていた子供が目を開いたのです。
そして、しばらくして目を閉じたのですが、私にはまるで子供が自分の父親の顔を確認したように思えたのです。
長男が産まれた時と、長女が産まれた時にも、まったく同じ経験を2回したのです。
産まれて直ぐの子供の目は、何も見えないと思うのですが、あれは偶然だったのか?今でも不思議に思っています。
あれから19年が経ち、今2人の子供は大学生_university student_になっております。
今日のお話しは、ココまでになります。
次回は、Part38:時代の変化_change of the times_と題して、昭和に生まれて平成の今日まで58年間での社会環境の変化についてお話ししたいと思います。

3 件のコメント:

neiyomee さんのコメント...

hello... thanks for visiting my blog...

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bb_ANN さんのコメント...

howdy! tnx for dropping by my blog...^^

Lan さんのコメント...

hi thanks for your visit. tc