2008年3月14日金曜日

俺の回想録 ≪Part3:幼稚園時代(1)≫_Reminiscences_Kindergarten_

私が子供(5歳位)の時は、周辺の民家でカヤ葺き屋根の家もあり、ほとんどの家が風除けの為に薪囲いがありました。
私と近所の子供たち_kindergarten_の遊び場は、近くの砂浜で砂遊び、防風林の松林でチャンバラかカクレンボでした。また、松林の近くには戦時中のコンクリートでできた防空壕とか高射砲台の壊れた場所があり、よく冒険ごっこもしました。
私が、小学校に入学する半年前に地元に幼稚園ができて、私はその半年間だけ入園しました。
園内には鉄棒とブランコと土の山があり、私はいつも土の山で泥団子をつくり友達と雪合戦ではなく泥合戦をしていました。だから、泣かした友達は数知れずでした。
先生達にもよく怒られました。
汚れた園服を先生が何度も洗ってくれたので私の服は他の子供服より色が薄かったのを覚えています。
そんな私が、ある日園長先生から明日お母さんと一緒に幼稚園に来なさいと言われ家に帰って母に言ったら、またどんな悪さをしたのと怒られました。
次の日、幼稚園に来た母に園長先生は2週間後の卒園式で私に「卒園児代表として"お別れの言葉" を言ってもらうので、この原稿の文面を息子さんに暗記させてください」と言って一枚の紙を母に渡しました。
そして、翌日から家に帰ると母との暗記の特訓が始まりました。
私は、遊びに行きたいのに特訓をさせられて、言葉を間違えると近くで見ていた兄達に嘲笑されたりでとても苦痛でした。
そんなこんなで卒園式の当日は、どうにか無事に役目を果たし、私達は地元にできた幼稚園の第一期卒園児になりました。そして園長先生から記念品として鉛筆と筆入れを貰った事を今でも覚えています。
今日は、ココまでにします。
この続きでは、Part4: 私の幼稚園時代_kindergarten_(2)として、もう少し1955年ごろの生活を紹介させて頂きます。

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