2008年3月22日土曜日

俺の回想録 ≪Part11:初恋(出会いと別れ)≫_Reminiscences_Encounter_Parting_

みなさんは、思い出すと会いたくて胸がギュウーと締め付けられ痛みを感じる思いをした事がありますか?私にはあります。それは、私が中学2年生の時、学校から家に帰る途中で起きたのです。
そうです、初恋の人を思い出した時になったのです。
今日は、その初恋の話しをしたいと思います。
私が、彼女の存在を知ったのは小学校3年生の時でした。下校の掃除中に私の隣クラスにいる可愛い子を見つけたのです。_Encounter_
私は、すぐに掃除中の友達に「あの子は、何て名前の子?」と聞きました。すると、友達は「お前知らないのか?あの子は杉山京子といって、幼稚園の園長さんちの子だよ」と教えてくれました。
私は、その幼稚園の最初の卒業生でしたが、幼稚園では彼女のことは知りませんでした。
友達に「幼稚園の時、あの子は居なかったよ」と言ったら、「あの子はバスで遠くの幼稚園に行ってたみたいだよ」と言いました。
私は、その時は「そうなんだ」と納得しただけでした。
彼女のお父さんは農協の役員で、また幼稚園の園長さんでもあり、地元では有力者で、私の母なども一目置いて高く見ていた家だったのです。
私には幼稚園の園長さんである、彼女のお父さんは小学校にも時々来る時があり、校内で私と会うと「ショウゾウ君元気かね、勉強は楽しいかね、お母さんも元気ですか」等と、いつも声をかけてくれました。
私が、彼女を強く意識し始めたのは小学校5年生の時でした。
私と彼女は同じクラスになったのです。
それ以前は、彼女は小さい時から日本舞踊を習っていて、小学校の学芸会ではみんなの前で踊りを見せてくれたりして高嶺の花でした。その時、あこがれの様な気持ちになってもクラスが異なり、私の中には彼女の存在が殆ど無かったのです。
しかし、ある日彼女のお父さんが学校に来た時、お父さんと彼女と私の3人が偶然校庭で出会ったのです。そして、お父さんが私に彼女が娘で、私が幼稚園の卒園児代表だったことを彼女に話したのです。その時から、私は彼女を強く意識するようになったのです。
これは、後で彼女から聞いたのですが、お父さんから「幼稚園で、泥団子を投げて遊んでいたワンパク園児の貴方の話しは、以前から聞かされていた」そうです。
それからは、私の小学5年の学校生活が毎日楽しくなりました。
そして、私達は小学6年に進級しました。
6年生のクラスは、担任の先生もクラスの仲間も変わらないで5年生の時のままでした。私は、内心で「やった~、また1年間彼女と一緒だ」と叫んでいました。
私達の小学校では、この年(1962年)から学校給食が始まりました。給食は、アルミ製のトレーと食器にコッペパンと脱脂粉乳と日替わりのおかずの3品が盛られていました。
私達男子は、給食を残さずみんな食べても足りない気持ちでしたが、なぜか?女子の人は全員コッペパンを半分ぐらい残していたのを覚えています。
また、6年生になると「週番」と言って各クラスから男女一人づつ集まって、一週間毎日朝と帰りに学校内を巡回して校内風紀を見て記録する役目が始まるのです。
先生から、この週番の組み合わせ表が配られた時、私は自分の幸運に驚きました。そこには、偶然にも6年5組の私の名前の横に彼女の名前があったのです。そして全クラスメンバーの週番長になっていたのです。
この外にも、6年生の学校生活で彼女との思い出は沢山ありますがブログに書くと限が無いのでこれ位にします。
そして、小学校の卒業近くになりました。私達6年生の殆どは、地元の中学校に入学したのですが、彼女は通学にバスと電車で1時間ほど離れた町の「女子中学」に入学したのです。
私は、中学生になっても彼女が私の身近に居てくれるものだと勝手に思っていたのです。
放課後、週番の会議室で彼女から女子中学への入学を聞いた時は、頭の中が真っ白になりました。
何を言ったら良いのか分からず、ただ「そうなんだ」と言ったきりで、沈黙したまま二人で下校したのです。彼女の家は、小学校から歩いて5・6分と近いのですが、私の家までは20分以上かかります。
私は、あの日二人で学校を出た迄は覚えているのですが、どこで彼女と別れて、どの道を通って家に帰ったのか、今でも思い出せません。記憶が無いのです。
そして、私は卒業式を最後に彼女と会うことも無く離れてしまったのです。 _Parting_
今日のブログは、ココまでにします。少し話が長くなってしまい申し訳ありませんでした。
この続きは、次回 Part12: 私の初恋(再会)_reopening_ でお話しします。

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