2008年3月27日木曜日

俺の回想録 ≪Part16:サイクリングでの失敗≫_Reminiscences_Cycling_Failure_

今日は、昨日のブログの話しの続きをお話しします。
私達3人は、サイクリング_cycling_の最初の夜は西伊豆海岸の小さな漁村の青年団の人にすすめられ公会堂に一泊させて頂く事になったのです。
夜遅く、一緒だった青年団の方々が家に帰ったあと、私達は畳の上に借りた毛布に包まって眠りについたのですが、少し興奮気味ですぐには眠れませんでした。また、暑い夜のため蚊も多くいました。
私達は、家を出る時に野宿も覚悟して蚊取線香を持って来ていたので焚いて寝ました。
次の朝、早く起きた高橋君が「あ・あ・あ~」と叫んだのです。_failure_
その声で、私と大場君も目を覚まし「何だよ?朝早くから」と言って高橋君が指差す先を見てビックリしたのです。
そこには、畳にクッキリと蚊取線香の渦巻きの形で焦げた痕が着いていたのです。
私達は一瞬で目が覚めてしまいました。「どうしよう?」と高橋君は言いました。3人で色々相談した結果、私達は持ち金を全部出して謝る事にしたのです。
しばらくして、昨夜の青年団の人が「お~い、起きてるか?」と言って入ってきました。
私達3人は、畳を焦がしてしまった事を詫びて3人で出し合ったお金を渡そうとしたら、「あ~、そんな事は気にするな!俺達青年団が酒に酔って焦がした事にすれば済むから」と言ってお金を受取りませんでした。
そして、「さあ、朝飯を食え」と言って、おむすびを出してくれたのですが、私達は悪い気がして朝飯を食べずに出発しました。
青年団の人は、「この先からは、山道だから大変だからよ、気をつけて行け」と言って手を振って分かれたのです。
300mほど走って村を抜けた所から、先は急勾配の山道になっていました。
そこから先は、私達は自転車を降りて押して歩きだしました。歩いては休み、歩いては休みの連続です。あのカーブを曲がれば自転車に乗って走れるのではないかと思い、幾つものカーブを曲がりましたが、結局3時間以上ずっと自転車を押して歩いていました。
そして、伊豆で最も高いと思われた達磨山峠に着いたのです。
私は、この調子だと自転車での「伊豆一周」は無理ではないかと思い、2人と相談しました。結果、計画を変更して修善寺を経由して沼津に向かう事にしたのです。
これは、Uターンして理路を走る事になるのです。達磨山峠から修善寺までは下りの山道だったので、私達は自転車に乗って殆どペダルを扱がずに走りました。
沼津の街に着いた時は、すでに周囲は暗くなっていました。
途中、夕食のため道端の小さなラーメン屋さんに入りました。3人とも空腹でラーメンの大盛りを注文して、汁まで残さず食べてしまいました。
食べ終わった時、高橋君が「汁が残ってないとカッコ悪くないか?」と言ったので、テーブルにあった醤油と水をそれぞれの丼に少し入れて偽装したのを今でも覚えています。
私達は、ラーメンを食べながら、その夜の泊まる所の相談をしました。その結果、千本松原の海岸で野宿する事に決めました。
ラーメン屋さんを出てから、30分程走って私達は千本松原に着きました。
海岸防潮堤を背にして、各人砂浜にテント代わりのこうもり傘をさして、その中で寝ようとしていた時、防潮堤の上を遠くからパトカーが近づいてきたのです。私達3人は、「どうしよう?」補導されるのではないかと怯える気持ちだったのです。
パトカーは私達の近くで停止して、窓から懐中電灯の光を私達に向けたのです。そして、私達に近づいて来て「君達は何処から来たの?」と尋ねられたのです。
私達は、「夏休みで、サイクリングに来てココでキャンプしているのです」と言ったら、私達の香取線香の煙を見て「火気に注意しなさいよ」とだけ言って、パトカーに戻って私達の所から去って行ったのです。
ホットした気もちで寝たのですが、一晩中蚊に襲われて3人とも殆ど眠れませんでした。
朝の光が非常に眩しくて、目が痛いように感じたのを覚えています。
朝になって周囲を見回したら、松林の向こうに昨夜気付か無かった公園を見つけたのです。
私達3人は、その公園のトイレの手洗い場で顔を洗った後、千本松原を出発したのです。西に向かって帰路を走りました。
1時間ほど走った時、先頭を走っていた大場君の後輪タイヤがパンクしてしまい、そこから3人は自転車屋さんを探して、それぞれの自転車を押しながら4kmほど歩いたのです。
自転車屋さんを見つけてパンクの修理に30分ほどかかり、再び帰路を走りました。
パンクが直り、走り始めた私達は急に空腹を感じて、まだ朝飯を食べていなかった事に気付いたのです。すぐに、近くの食堂を見つけて少し早い昼食を取ることにしました。
私達は、残金を確認して「カツどん」と「カレーライス」のどちらを注文しようか迷いました。今に思うと、それぞれ好きな物を注文すれば良いのに、その時は何故か?3人同じ物を食べる気持ちになっていたのです。
食堂を出てから、2時間半ほどして2日前に自動車の排気ガスで苦しい思いをした宇津ノ谷トンネルまで帰って来たのです。
私達3人は、トンネルの入口で少し休ん後、手ぬぐいを目の下で巻き口を覆った姿でトンネルに入りました。力の限り自転車のペダルを扱いでトンネルを抜けました。
トンネルを過ぎて1時間ほどで大井川の堤に着きました。私達は、その場所で別れてそれぞれの家に帰ったのです。
そして、このサイクリングでの出来事_cycling_failure_が私達3人の夏休みの思い出となったのです。
今日は、ココまでとします。
次回のブログPart17: 高校卒業_graduation_までをお話しします。

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