2008年3月20日木曜日

俺の回想録 ≪Part9:友との出会いと別れ≫_Reminiscences_Encounter_Parting_

今日は、私が小学校時代に会った大勢の友達の中で、今でも忘れない友との事を紹介します。
最初の友は、私が小学校に入学する半年前に隣家へ東京から親戚の子供がお母さんと一緒にやって来て、その子は隣家に預けられたのです。_encounter_
彼は、私と同じ年齢だった事から直ぐに友達になり 「ショウちゃん」「ヒロちゃん」 と呼び合う仲になりました。彼のお父さんは、戦争で亡くなり、お母さんと彼と弟の3人家族でしたが、弟は他の裕福な親戚の養子になり、彼は隣家に預けられたのです。
隣家には、当時小学校6年生と1年生と3歳の3人の子供がおりました。そこに彼が加わったのです。
隣家のお母さんは、畑仕事の他に毎日バトミントンの網の縁にミシンでテープを縫い付ける内職をしていたのを覚えています。
私とヒロちゃんは、同じ小学校に入学して毎日一緒に通学していました。
彼は、時々家の外で泣いている時がありました。私の母が泣いている「ヒロちゃん」に「どうしたの」と理由を聞いたら「ぼくがご飯を沢山食べるので叱られる」と彼は言ったそうです。
私の家は、お米店ですが駄菓子も売っていたので、母は時々「ヒロちゃん」が泣いていると、おにぎりとかお菓子を隣家に内緒で与えていました。
今、私は大人になって思うには隣家のお母さんは怖い人ではなく良い人でしたが、当時の生活環境から自分の子供と甥っ子では接し方が異なっていたのだろうと思います。
そして、私と彼が小学校1年生を終了した春休みに、彼のお母さんが彼を迎えに隣家へ来て彼を連れて行ったのです。彼は、少し前に「お母さんがもう直ぐ迎えに来てくれる」と喜んで私に話していたので、私と母も一緒に喜びました。
出発の日、彼がお母さんと一緒に私の家へ挨拶に来た時、私の母は彼の服のポケットが膨らむ程に店のお菓子を入れてあげました。彼とお母さんが手をつないでバス停に向かって田んぼ道を歩いて行く後ろ姿を私は今でも覚えています。_parting_
彼が去った後、私は母から「ヒロちゃん」は今度は別の親戚の家に預けられた事を聞かされました。
あれから20年以上が過ぎ、私は28歳になっていて東京で生活していたのですが、久しぶりに実家に帰省した時、母から「この前、隣家へヒロちゃんが来て、家にも挨拶に来てくれてお前に会えなくて残念だと言って帰って行ったよ」と聞かされ、その後も彼には会っていません。
母は、彼が立派な青年になっていたのでビックリしたそうです、また幸せ相で嬉しかったと言っていました。それを聞いて、平凡に生きてきた私とは比較にならない苦労を彼はしただろうと思い、本当に嬉しかったです。
また、いつの日か彼と会える事を願って私は今を過ごしています。
今日は、ココまでにします。
次回 は、Part10: 我が家にテレビが来た _TV_house came_ をお話します。

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