2008年3月17日月曜日

俺の回想録 ≪Part6:小学生時代(1)≫_Reminiscences_Schooldays_

いつの頃からか、今の小学生は私服で登校していますが、私達の子供の時_schooldays_は男の子は坊主頭で左胸に名札を付けた黒の学生服で、女の子は紺色の上着にスカート(子供用もんぺ姿の女子もいた)が制服でした。
毎日、学校から家に帰ると制服を脱いで常着の服に着替えるのです。この常着の服は破れると母が針と糸で縫ってくれたもので、当布、縫い目、がある服は普通でした。 そして、遠くの町へ行く時とか、お正月、また行事などの時は「お出かけ着」として綺麗な服を着せてもらえるのです。
子供の1日のお小遣いは5円~10円程で、飴玉1個1円、豆腐が15円位の時でした。親戚の家に行くと 叔父さんから50円~100円程のお小遣いがもらえました。
この当時、まだテレビが無かった私達子供の楽しみは毎日近くの辻にやってくる紙芝居屋さんです。今でも紙芝居の題名は「怪傑黄金バット」とか「怪傑ライオンマン」等は覚えています。私達は、お母さんから5円貰い、紙芝居屋さんから水飴を買い、紙芝居を見ながら水飴を舐めるのです。
また、時々近くの広場に「爆し(ハザシ)屋」さんが来ました。
「爆し屋」さんが来ると、母から少しのお米を貰い「爆し屋」さんに爆してもうのですが、爆す時に大きな音がするのでみんな耳を塞いで待つのです。この爆し米も私達のおやつでした。
その他には、サツマ芋をふ化(蒸す)して薄く切り天日に干した干し芋、噛むと甘い汁が出るサトウキビなどもおやつでした。
私が小学生の時は、現代とは違い学習塾などは無く、いや有ったかもしれませんが塾に通って勉強している子供はいませんでした。毎日、学校から家に帰るとすぐに遊び場である浜辺や松林へ行き、夕方暗くなるまで遊んでいました。
勉強と言えば宿題の「漢字100字書取り」がある日だけ、夕食後に卓袱台(食事用テーブル)で済ませる位でした。
子供の時の遊びは、柳の木の枝で作った刀を持って切り合う「チャンバラ」、大きな木の枝から垂れ下がった太めの藁縄にぶら下り揺らして遊ぶ「ターザンごっこ」、また女の子と一緒に遊ぶ「ゴム跳び」、缶詰の空き缶を蹴って隠れたみんなを鬼さんが探す「缶蹴り」、野球道具などは買ってもらえないので長さ1mの棒がバットとして20cmの棒をボールとした「棒野球」などがありました。
今日は、ココまでにします。
この続きは、次回 Part7: 小学生時代_schooldays_(2) としてお話します。

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