2008年3月25日火曜日

俺の回想録 ≪Part14:高校生活≫ _Reminiscences_High school life_

私が、入学した高校は新設校で、私達1年生は第3期生になります。
学校は、体育館はありましたが、プールは建設途中でした。また、広い運動場も有りましたが周辺には植樹中で土などが盛られており、運動場には小石が沢山散乱しており、私達は体育の時間にいつも30分ほど石拾いをさせられました。
校則も、新設校であるということで特に厳しく、男子生徒は坊主頭で黒の制服、制帽、靴は白いズック靴で皮靴は3年の3学期からとなっていたのです。
また、喫茶店に入るには父兄同伴でなくてはいけなかったのです。
私が、1年生の時3年生の先輩から「本校の学生の姿は、修学旅行に行ったら旅館の人に中学生に思われた」と言ってました。
私は、新設校ではない他校の生徒の長髪で皮の靴を履いた姿を見るとカッコイ~ナと羨ましかったです。
私が、高校生になったのを実感できたのは、勉強内容はもちろんですが、授業の筆記がテスト以外は万年筆でした。また身に付けている腕時計、教科書を入れた皮製の下げ鞄などでした。しかし、1人の学生の姿として見るとアンバランスでカッコ悪いと思いました。
私の学校では、近隣の高校に無い行事がありました。それは、冬になると「耐寒訓練」といって1週間朝7時までに登校して、上半身裸になり下は短パンでラジオ体操を行い、その後、学校の周辺を3km走るのです。そして、最後の日はマラソン大会となり10kmの距離を競走するのです。
私は、1年生で最初のマラソン大会の時でした、スタートして4km位の地点で最も息が苦しくなりました、しかし休まず走り続けると急に苦しみが無くなり楽に走れていたのです。ですが、私の足の感覚が無くなっていったのです。正確には足の平の感覚が無くなり足の先が棒の先で立って走っている様な感じでした。
私は、どうにか完走してゴールしたのですが、ゴールしてグランドの端に座ったら後は、動けませんでした。私の足が大きく腫上ってしまったのを見た友達が先生を呼んで来て、そのまま接骨医に連れて行かれました。
そして夕方まで休んでから、湿布薬と包帯で膨らんだ足を引きずり学校近くのバス亭からバスで家に帰ったのです。
次の朝は、まだ足の腫れも痛みもひかない為靴が履けなかったので下駄を履いて学校に行ったのです。その日の帰りのバスで、途中の乗換所でバスを待っていたら、2人組の3年生が私に近づいて来て「お前のそのカッコウは何だ!」と言って私の胸を掴み、睨みつけられ「1年生のくせに、そのカッコウは生意気だ」と言われ、私は事情を説明しました。
その時、説明しても分からず殴られたら、私は下駄で殴り返してやるつもりでいたのですが、先輩達は「分かった、気おつけて帰れよ」と言ってくれて「また、誰かに俺達のように言われたら、俺達の名前を言え」と言って2人の名前を教えてくれたのです。
次の日、学校でクラスの友達に2人の名前を聞いたら「青島君、その2人の先輩は本校の番長と副番長で建設科の先輩だよ」と教えてくれました。それを聞いた時、私はビックリしました。そして、なぜか3年生が大人に見えて恐ろしい存在に思えたのです。
私は、いつも自転車で通学していたので知りませんでしたが、バス通学の生徒達には我が校のマナーがあって、①先輩には席をゆずる事②年寄りには先輩より先に席をゆずる事③車内では静かに話す事 この3つは厳守になっていて、3年生が下級生の車内でのマナーをチェックしているのです。
私は、2年生の時まで自転車通学でしたが、雨の日だけバスを利用していました。
6月の梅雨の時期はバスの日が多くなりました。梅雨ですから午後になると晴れて、帰りのバスの中は蒸し暑く感じました。
当時のバスには、運転手の男性と一緒に若い女性のバスガールが乗っていて、バスの乗降口に立って切符を切ってくれてました。
梅雨時は、バスガールの服装が白いブラウスと紺のスカートでした。私達、高校生は丁度思春期だったからでしょうか?バスガールのブラウスに下着が透けて見えている事に興奮して、股間がムズムズしてズボンが突っ張りました。恥ずかしいので鞄を膝の上に載せてそれを隠し、バスから降りる時は困ったものでした。
当時の田舎では、ミニスカートはまだ見られなかったです。私が、膝までのミニスカートの人を最初に見たのは、高校の修学旅行で彦根城を見学している時でした。高校生活_high school life_は、進級するごとに勉強、クラブ活動、宿題(課題)等に追われ忙しくなりました。
今日は、ココまでとします。
次回のブログPart15: ???? これから考えて、明日お話しします。

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